― 認知症研究が示す意外な事実 ―
歯と脳は、つながっている
「歯の問題は口の中の話。認知症は脳の病気。」
多くの人が、無意識のうちにそう切り分けて考えているのではないでしょうか。
歯が減れば食べにくくなる――それは実感しやすい変化です。しかし近年、歯の本数が減ることが、脳の働きや認知症リスクと関係している可能性が、さまざまな研究で示されるようになってきました。
認知症は高齢者だけの問題ではありません。発症は高齢期でも、その土台は40代、50代の生活習慣によって形作られると考えられています。睡眠や運動、食生活と同じように、「歯の状態」も、長期的に脳の健康に影響を与える要因のひとつとして注目されています。
この記事では、歯の本数と脳の関係について、最新の研究をもとに整理し、大人が今からできることを考えていきます。
歯の本数が少ない人ほど、認知症リスクは高い?
国内外の疫学研究では、残っている歯の本数が少ない人ほど、認知機能が低下しやすい、あるいは認知症を発症する割合が高い傾向が報告されています。特に奥歯(臼歯)を失っている場合、その影響が大きいとする研究もあります。
単純な因果関係ではない
ただし、ここで重要なのは「歯が少ない=必ず認知症になる」という単純な話ではないという点です。
歯の本数は、以下のような要素と密接に関係しています:
- 噛む力
- 栄養状態
- 全身の健康
- 社会的活動量
歯の本数は、そうした生活全体の状態を反映する”指標”のひとつとも言えるのです。
なぜ「噛むこと」が脳に関係するのか
噛むという行為は、単に食べ物を細かくするための動作ではありません。
噛むたびに、歯や顎からの刺激が脳へ伝わり、脳血流が増加し、神経活動が活性化することが分かっています。特に以下の部位が刺激されると考えられています:
- 海馬 … 記憶をつかさどる
- 前頭葉 … 判断力・注意力に関わる
刺激が減ると、脳への影響も減る
歯を失い、噛む回数や噛む力が低下すると、こうした刺激が減少します。柔らかい物ばかりを選ぶ食生活が続けば、脳への日常的な刺激も少なくなってしまいます。
つまり歯は、食事のためだけでなく、脳を日常的に刺激する役割も担っているのです。
歯を失うこと自体が問題なのではない
ここで誤解してはいけないのは、「歯を失ったこと」そのものが最大の問題ではないという点です。
問題なのは、噛めない状態を放置することです。
研究では、以下のような差が報告されています:
| 状態 | 認知症リスク |
|---|---|
| 歯を失ったまま放置 | 高い |
| 入れ歯やインプラントで補っている | 比較的低い |
もちろん天然歯に勝るものはありませんが、「噛めない状態」より「補ってでも噛める状態」の方が、脳にとっては明らかに良いと考えられています。
認知症予防として、大人が今からできること
認知症予防というと、特別なトレーニングや高額な対策を思い浮かべるかもしれません。しかし、日常の口腔ケアもその一部になり得ます。
今日から始められる4つのこと
- 歯周病を放置しない (歯を失う最大の原因)
- 奥歯の喪失を軽視しない
- 痛みがなくても定期的に歯科検診を受ける
- 噛み合わせや噛む力の低下に気づいたら相談する
これらはすべて、今日からでも始められることです。
まとめ|歯は「老後の脳への投資」
歯は見た目や食事の問題だけではありません。
歯を守ることは、将来の脳の健康を守ることにつながる可能性があります。
認知症対策は、特別なことを始める前に、まず日常の口腔ケアを見直すことから始まっているのかもしれません。
歯は、老後になってから考えるものではなく、今の生活の中で守っていくべき「脳への投資」なのです。
参考文献・関連研究
歯の本数と認知症リスクに関する主要研究
- Yamamoto T, et al. (2012)
“Association between self-reported dental health status and onset of dementia: a 4-year prospective cohort study of older Japanese adults from the Aichi Gerontological Evaluation Study (AGES) Project”
Psychosomatic Medicine, 74(3), 241-248.
愛知県の高齢者を対象とした前向きコホート研究。歯の本数が少ない人ほど認知症発症リスクが高いことを報告。 - Lexomboon D, et al. (2012)
“Chewing ability and tooth loss: association with cognitive impairment in an elderly population study”
Journal of the American Geriatrics Society, 60(10), 1951-1956.
スウェーデンの高齢者研究。咀嚼能力の低下と認知機能低下の関連を示した。 - Okamoto N, et al. (2010)
“Relationship of tooth loss to mild memory impairment and cognitive impairment: findings from the Fujiwara-kyo study”
Behavioral and Brain Functions, 6, 77.
日本の藤原京スタディ。歯の喪失が軽度記憶障害および認知機能障害と関連することを示した。
噛むことと脳活動に関する研究
- Onozuka M, et al. (2002)
“Age-related changes in brain regional activity during chewing: a functional magnetic resonance imaging study”
Journal of Dental Research, 81(11), 743-746.
咀嚼時の脳活動をfMRIで測定。咀嚼により前頭前野や海馬領域が活性化することを示した。 - Hirano Y, et al. (2013)
“Effects of chewing on cognitive processing speed”
Brain and Cognition, 81(3), 376-381.
咀嚼が認知処理速度を向上させることを実験的に証明。
義歯使用と認知機能に関する研究
- Ikebe K, et al. (2016)
“Impact of masticatory performance on oral health-related quality of life for elderly Japanese”
International Journal of Prosthodontics, 29(3), 252-259.
咀嚼機能を義歯で補うことの重要性を示した日本の研究。 - Takeuchi K, et al. (2017)
“Tooth loss and risk of dementia in the community: the Hisayama Study”
Journal of the American Geriatrics Society, 65(5), e95-e100.
福岡県久山町研究。歯の喪失と義歯使用の有無による認知症リスクの違いを長期追跡。
平成30年に歯科衛生士免許を取得。
臨床現場で多くの患者さんの口腔ケアに携わる中で、
「毎日歯を磨いているのに、なぜ磨き残しが出るのか」
「どう伝えれば、セルフケアの行動が変わるのか」
という点に関心を持つようになる。
その後、医療現場を“外側”からも理解するため、
関西学院大学大学院 経営戦略研究科(MBA)を修了。
現在は、歯科衛生士としての臨床経験と、
経営・行動変容の視点を掛け合わせ、
「続けられるオーラルケア」をテーマに情報発信を行っている。



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